幸せを願われたときに

20代のころからよくしてもらっている先輩との

LINEのやりとりの最後に、

 

「私は◯◯からの朗報を待っているから」

 

というメッセージをもらいました。

 

 

そのメッセージに、私もやっとしてもやもや

 

そももやもやの正体は、

今の私は幸せに見えないのかな、でしたぶー

 

 

 

 

その先輩は私の幸せをいつも願っていてくれて、

私がどんな状況でも温かく見守ったり、

必要があればフォローをしてくれる先輩です。

 

だから、

私が幸せに見えないからそのメッセージをくれたのではなく、

本当に私を思ってくれているのだとわかるんです。

 

でも私のこころはもやっと反応したもやもやもやもや

 

40前にして、

結婚は?と言われることは少なくなってきたけど、

そのかわり、子どもがほしいならを

よく言われるようになった。

 

なんなのかな?社交辞令?

今日はお天気がいいですね、のノリで話されることもありますね。

全然知らない人とかにもね。

なんなんだろえー?

 

そしてその社交辞令ではもやっとしないのに、

(なんなんだろと思っているあたり、もやっているか)

大好きな先輩の私を思っての言葉にもやっとしたのは、

私のセルフイメージが低いからだと思ったんですね。

 

どうせこんな私はとか、

どうせ独りだしとか、

どうせ不細工だしとか。

 

 

私は自分のこと大好きな部分もあるけど、

まだ肯定できていない部分もたくさんある。

 

褒められることを受け取るのも

ちょっと冗談ぽくしないとまだ難しくて。

 

この先輩の言葉も、

先輩の気持ちもわかるのに受け取れなくて、

「果報は寝て待てですね」って返しちゃったにやり

 

 

 

言葉って受け取りかたで本当に変わるから、

自分の真意で受け取ってもらえるよう、

そして自分も相手から受け取ることができるよう、

自分の心の色メガネを外して世の中を見ていきたいと思いますサングラス

 

幸せを願ってくれている先輩には、

私が幸せに生きていることがそのうち伝わるでしょうねー

 

Source: 私なりの看護教員ライフ